五百旗頭真理事長 過去のメッセージ



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平成28年6月15日公表メッセージ
≪熊本地震を体験した諸君へ≫(大学案内2017理事長メッセージ)

 平和に安穏なくらしを楽しんでいる時、人は何が一番大事なことか、つきつめない。ちょっとした好みやこだわりで、怒ったり喜んだりする。しかし生死の際に追い込まれる体験をすれば、本当に大事なものは何かを意識することになる。

 4月16日の本震で大地の魔神に生存を脅かされた時、諸君は何を思っただろうか。もちろん生き延びることであろう。人にはさまざまな欲求があるが、最も根源的なのが生存の欲求であり、それが問われる瞬間、食欲も愛欲も趣味も、すべては遠のく。が、運よくその夜を生き延び、朝を迎えると、夜来何も食べていないことに気づき、空腹がこたえる。飢え渇き、食欲は生存本能の次に強烈である。

 そうした本能の自然的論理に従いながらも、諸君は家族の安否、親しい者の安否が気になり、つながりにくい携帯やスマホを懸命に動かしたのではないだろうか。21年前の阪神・淡路大震災の時、西宮市のわが家は震度7の襲撃により全壊した。悪魔の猛攻がそれでも終わった時、妻は2階のベッドで私との間で寝ていた6歳の末娘を抱きしめ、「ママははるかさえいたら、何もいらない」と言った。

 人間不思議なもので、命こそ大事でありながら、愛する者との絆はそれ以上に尊く、大災害の悲惨の中で、人のために自分の命を失う事例が多く生まれる。東北では津波から町の仲間を守ろうとした254名の消防団員が犠牲となった。若き日に熊本地震を体験した諸君にとって、何を大事にして生きるかを考えるよき機会ではないかと思う。


 平成28年1月6日公表メッセージ
≪地域に生き、そして『世界に伸びる』≫(2016年年頭挨拶)

 明けましておめでとうございます。昨年は、大幅な志願者の増加、COC事業の推進、COCプラス事業の採択などもあり、「地域に生き、世界に伸びる」をモットーとする本学として、大きな手ごたえを感じています。地域からも、県立大は良く頑張っているとの評価を受けております。これは、古賀学長に6年にわたりリードいただいた成果であり、4月からは半藤新学長のもと、更に伸ばしていきたいものです。ドキドキするような県立大の飛躍を共に担い、取り組んでいきましょう。

 世界に目を向けると、歴史の中で今日の世界は難しい時期に直面しています。およそ百年前第一次世界大戦が始まりました。対立する国々のナショナリズムの高まりの中から、双方がやれば勝てるという、安易にのめり込んだ開戦でした。しかし、大戦前の腕力が物を言う時代とは大きく変わり、始めてみると誰もコントロールできない“怪獣”のような世界戦争となりました。

 機関銃など新兵器が攻撃よりも防御の側に有利に働き、数年経っても終われない塹壕戦に陥り、凄惨な戦争で余りにも多くの若者が犠牲になり、次世代を担う人材を失いました。英仏独等多くの国がこの辛酸の中で、今後は戦争に依らず平和的な解決策や均衡をはかる仕組み『シビル・ソサエティ』を作る必要があるとの認識を強めました。アメリカは第一次大戦に遅れて参加し決着をつけましたが、パワーポリティクスの時代を終わらせるべきだと「戦争違法化」の運動を起こし、1928年に不戦条約を各国に呼びかけて結んだりしました。

 日本は、第2次大隈内閣の時代に第一次大戦に参戦しましたが、欧州の痛みに比べ傷が浅く、未だパワーポリティクスで良いと思っていました。1931年の満州事変に続いて世界を敵とする第二次世界大戦に突入した結果、京都を除いた日本の主要都市が全て廃墟となる空前絶後の敗戦を迎えました。これに懲りた戦後日本は、第2次大戦後の西欧以上に平和的な生き方に徹し、武力で国際問題を解決するという戦前のやり方と完全に決別し、経済国家として再生しました。この度の安保法制でも、日本が戦争をするという主旨ではなく、他国に領土を奪われないためにどうすればよいかを検討し始めたものと外交史家として考えます。

 現在、“戦争はやってはいけないというこの世界大戦後の共通認識”を、残念ながら共有できないのが中国であり、中国はアヘン戦争以来の屈辱を晴らし、失地を取り戻し偉大な中国人の夢を再現しようと突き進んでいるように思われます。昨年末、欧州で『中国の台頭と安全保障』について講演旅行をしましたが、米国による中国周辺の海への関与は国際秩序を乱すことではないか、という中国人からの質問も受けました。しかし中国周辺を勢力圏下に置きブロック化するのは過去の手法です。世界の公海は自由でなければなりませんし、資源エネルギーが必要なら、力で奪うのではなく、売り買いするのが大戦後の手法です。資源と市場を共同利用することが新しい学びであることは、2つの大戦を経た世界の共通認識です。

 一昨年本学で開催した日韓関係国際シンポジウムでは、民間レベルの心ある人々により意味のある交流は続いている、とディスカッションしましたが、昨年の日中首脳会談の再開や日韓での慰安婦問題の和解に向けた進行等周辺国との関係正常化に政治が動いたのは、救いを感じさせるささやかなる一歩と存じます。

 難しい時代ですが、我々は大学人として、『地域に生き』そして国境を越えて『世界に伸びる』ことに取り組んでいかねばなりません。皆さん、よろしくお願いします。


平成26年9月1日公表メッセージ
≪21世紀に生きる君たちへ≫

好奇心を持った『新しい自分』になる
 「勉学」という点において、高校以前と大学では、異なる点があります。これまでの勉学は、凡そ「受動的に教わるもの」であったり、「受験のためのもの」である側面が否めないことでしょう。
 しかしながら、これから皆さんが手に入れる環境は、自分が主人公となって学ぶ場です。
 学びたい履修科目を自分で選び作り上げる。到達目標を自分で設定する。なりたい将来像(キャリアデザイン)を見つける・・・「新しい自分づくり」の始まりです。
 日本人の歴史の中でしばしば危機や困難を迎えながらも、絶えず再生させ、世界の水準をこなしてきたもの、それは日本人の外部文明に対する強い「好奇心」です。またこれは、日本人の最も誇るべき資質でもあります。学生諸君は、是非ともこの好奇心を持って、新しい勉学、新しい活動、新しい友人・先生等との触れ合いを持ってください。皆さんには、潜在的に日本人がこれまで獲得してきたDNAが備わっているのですから。
 ただ、それを顕在化させるのは皆さんです。脳細胞の中で実際使われるのは、一生かかってもほんの一部ですが、大学時代こそは、可能な限り眠っていたスイッチをONにするチャンスです。

『危機感』を抱いて『新しい自分』になる
 平成26年4月、総合管理学部1年の学生が短い生涯を閉じました。彼は高校の頃に発覚した病気が原因でこの世を絶った訳ですが、それでも敢えて「普通の大学生活を送ること」を望んで、本学への入学を希望しました。大学で新しい自分を発見するために。
 また、私はかつて神戸大学で教鞭をとっていた平成7年に、阪神淡路大震災の被害に遭い、そのとき私のゼミ生の一人である男子学生を失いました。志が高く、問題意識をもって何事にも果敢にチャレンジする優秀な学生で、将来はジャーナリストとして、これからの世界と日本を同行しようとしていました。
 運命とは、誠に不平等なもので、不遇なときなどは、不平や嘆き悲しむ事もあるでしょう。しかしながら、何事にも「自ら考え」「失敗を恐れず」「何度も諦めない」志は、今、皆さんに平等に与えられている権利です。行使することを誰も妨げることは出来ません。
 「今」が永遠に続くという妄想は、漫然と日々を消化する者に共通の観念です。しかしながら、大震災を経験した私を含め、この世の残酷なまでの不条理を知る者たちは、今が「何時でも切断されうるものだ」ということを十分に理解しています。あの瞬間、針の先ほどの偶然であの人は死に、私は何故か生かされている。私にとっても永遠に「明日」が残されているわけではない。だからこそ、現存する今を大切にしたい。あの人の分まで、出来ることなら生きなくては申し訳ない・・・私は、そういう危機感を抱いて日々臨んでいます。

『危機』を乗り切る『新しい自分』になる
 帆船の操船技術に「間切り」というものがあります。帆船は後ろ(艫;とも)から文字通り「真艫(まとも)」に風を受けると、何の抗いもなく船は前進していきます。
 一方、真っ向から風を受けると、通常船は全く前進することができませんが、「間切り」は、たとえ逆風を受けたとしても、ジグザグにハンドリングを行い、前進させることが出来るのです。
 社会の風は、時に順風、時に逆風。若いうちは逆風が多いかも知れません。皆さんは、「大学生活」という「船だまり」で、まずは「今」に対する危機感を抱き、間切りながら前に進んでいく操船技術を身に付けるなど、危機を乗り切る「新しい自分」を磨いてください。そして、卒業後の「社会」という外洋を存分に航海していただきたいと思います。

『地域に生き世界に伸びる』自分になる
 本学では、「地域に生き世界に伸びる」学生を育てていきます。海外生活を経験した者は、みな一様に「自分が日本人であること」を自覚させられます。日本人アイデンティティは、日本にいて感じることはありませんが、海外において痛切に考えさせられる問題です。
 普段何気なく存在している行事や風習も、海外では「特異な行動」であり、また逆も然り。つまり、「自分の生まれ育った地域」を改めて深く知ることは、皆さんが世界で活躍するうえで、自分を表現する重要な武器となり得るのです。
 かつまた、皆さんが故郷に戻って働く際には、これらが郷土を「将来に向けてどう舵取りすべきか」を考える土台ともなります。
 本学では、県内各地域との包括連携協定を締結して、里山での稲作体験など「地域の中の自分」を経験するとともに、地域のニーズに積極的に関与していく「もやいすと」を育成しています。また、海外留学への支援や英語合宿など、海外へ羽ばたく人材の応援も行っております。

さいごに

 司馬遼太郎さんは、その著書『21世紀に生きる君たちへ』において、彼が遂に見ることがなかった21世紀を生きる皆さんへ向け、「助け合い、他人の痛みを感じ、優しい人間になれ」と語り、「そのような人間になるためには、常に自らの頭で考え、自己を確立し、他者を思いやる『相応の訓練』をしていかなければならない」と締めくくっています。
 彼が22歳の時に迎えた終戦日に抱いた「この国に対する疑問」への「答え」として、彼は執筆活動を始めた訳ですが、そんな彼が晩年、21世紀を生きる皆さんへのメッセージとして、美しきこの国への期待と、「世間」や「空気」に流されるこの国への不安を示しています。
 自らの頭で考え、無私に行動し、結果を真摯に受け止め次に生かす。当然のことのようですが、決して容易なことではありません。これらを積み重ね、訓練していくことにより、真に「頼もしい人間」となり、「他者をいたわる人間」となり、ひいては「世間や時勢に流されない確固たる人間」ができあがるのではないでしょうか。そういう人が増えれば、彼のいうとおり「21世紀は人類が仲良しで暮らせる時代」になるかも知れません。
 夢多き若者の集う大学は、「失敗する場所」でもあります。大いに失敗して社会で活躍する人間になる訓練をしてください。そして大きな人間になって、この大学を、この地域を、この国を支えてください。そういう諸君を私どもは見守り、できれば同行したいと思っています。


平成25年4月8日公表メッセージ
≪大学時代に培うもの≫(平成25年度入学式理事長祝辞)

 入学生の皆さん、今日まで育ててこられたご家族の皆さん、おめでとうございます。県立大学に入学して、これから多くのことを学ぶことができる。そのことが、おめでとうの内容かと思います。

 しかし、それに劣らず私が皆さんにおめでとうと言いたいのは、皆さんがこの大学生活を通じて自らが変わる機会を得るということです。

 より大きな自分になると言った方がいいかもしれません。変わるからといって今までの自分がなくなって、新しい自分ができるわけではありません。みなさんのこれまで培ってきたものは貴重な土台です。しかしながら、絶えずこれまでの古い自分に死んで、新しい自分に生きることを積極的に求める場が大学ではないでしょうか。

 どちらかと言えば、小さい時から読み書きそろばんを習い、教えられ、ちゃんと練習をして、というまじめな勉強を、教わるという姿勢で来るんですね。今日から大学に入って、それが違います。下から見上げて受けるのではなくて、自分が主人公になるんです。もちろん多くのことを学びます。学び続けます。強い好奇心、日本人をこれまで歴史の中で絶えず躍進させ、世界の水準をこなしてきた、それは強い好奇心です。日本人のもっとも誇るべき資質は好奇心だと思います。みなさんは、大学で好奇心を持って新しい勉学、新しい活動、新しい友人・先生等との触れ合いを持つ。それを通じて、今までの自分が別のものに変わるわけではありません。自分の内になかったものは分かることもできません。好奇心をもって、共感を持つ、感動できる。それは、潜在的に自分のうちにDNAがあったからなのです。皆さん一人一人のうちには、全人類が獲得したDNAが入っています。みんなの中にあるのです。ただ、それを顕在化する、具体化するのは限られているのです。脳細胞の中で使われるのは一生かかってもほんの一部です。言い換えれば、無限に開拓すべき部分があるんですね。開けないまま、スイッチをONにしないまま、百年以内の人生を終わっていくのが常でありますけれども、大学時代こそは、可能な限りOFFになっていたものをONにする機会です。

 実は、皆さんはミクロコスモスです。小宇宙です。宇宙全体と同じものをみな潜在的には持っている。それをONにしていく。触れ合いを通じて、勉学を通じて、驚くべき可能性が自分のうちにある。それを顕在化していくというのが大学時代です。そのように、自分から自分でないものになるのではなくて、自分のうちにそもそもあるものを大きく、自分のものとして大きく自分のものとしていく。そういう意味で、大学時代に皆さんが、過去に死んで日々新たに生に生きるというふうになってくださることを願い、それにお祝いを申し上げたいと思います。

 自分を知る、大きな自分となっていくということは、同時に人を大事にするということと表裏をなします。隣にいる人、クラスにいる人、クラブで会う人、授業で会う先生には全然関心がないというのは、これはスイッチをOFFにし続けることです。しかし、初々しい好奇心を持っていたら、この人はこういうものを持っている、すごいなと思う。すごいなと思えるということは、自分にも潜在的にあるということです。それがなければ豚に真珠、馬耳東風です。しかし、皆さんのうちにはすべての潜在的可能性がある。それを初々しい好奇心もってやれば、この人この友達がどんなに大事なものか、学ぶものがあるか、互いに大事に人なのだと接することができる、理解することができる、包摂できるんです。下から見るのではなくて、全体を、自分が主人公となり相手をも包摂するんです。そして大事にする。その生き方は相互に啓発し合う、高め合う、大きくなり合うという関係を可能にします。そして、大学というところは下から社会を見る、世界を見るのではなくて、学ぶのですが、その上で自分が主人公となって全体を鳥瞰する姿勢を持つという転換の時なんです。社会のことを知る、世界のことを知る。その中に自分というものも位置づけるのです。自分がすべてで自分しかない、でも同時に、広い認識を持つ自分の視界が私というものを世界の一つとして見ることもできる。これが知識人、大人というものです。県立大学にきて私が最も感銘を受けたのは、郷土愛を県立大学の学生も強く持っていることです。この社会を支える、地域を支え、パブリックを支える気風は貴重なものです。

  いい日ばかりではありません、だいたい入学式と言えばきまり文句がありますね。春爛漫の桜匂う今日、入学式が挙行される。今日はそうですか?そうではありませんね。春の嵐です。台風並みだといわれる今日この日に皆さんは入学式を迎えられました。皆さんはこれをどう受け止められますか。なんだせっかくの入学式なのにケチがついたと思われますか。そういう風にいうのであれば、今の時代も決して甘いものではありません。厳しい国内環境があります。私は神戸で大学教授の時に阪神淡路大震災を経験し、私のゼミ生の命を失い、わが家も全壊いたしました。東日本大震災では復興構想会議議長を仰せつかって、それだけに悲惨を現地に足を運んでみています。しかも、これで終わりではないんです。大きな地殻変動があり、太平洋プレートが毎年10センチ日本列島の下に潜り込んでします。それドーンと今回断裂を起こして、日本列島が今太平洋の方に少し移動しています。そのように大きな動きが起きたら、そのうち直下型断層のねじれが大きくなり、50年後100年後に起ころうとしていた地震が、背中を押されて次々に起こるということが歴史上しばしば繰り返されているのです。そういうことを思えば、東日本大震災という未曽有の悲惨が終わりではない。首都直下も起これば南海トラフも起こるであろう、そういう中で、先ほど古賀学長がおっしゃったような、防災・減災の観点に立って熊本の地域社会を支えるというプロジェクトを、文科省のオーソライズを得て4大学でやっています。

 国際環境、私の専門は外交安全保障、国際関係ですが、その面から見ても東シナ海はかつてないリアルな危険に満ちています。皆さんが生を受けた瞬間は決して、めでたい、春爛漫、桜満開というような瞬間ではないと思います。それに拗ねてしまうか。そうではないですね。こういう時だからこそ、しっかりと身内を支え、家族を支え、友達を支え、郷土を支え、できたら社会・国・世界を支えたい。そういう思いを培うのが大学時代ではないでしょうか。

  夜明けは必ず来る。自然現象がそうですし、日本の歴史もまた、何度も国難・悲惨の中にあっても、却ってそれをバネにして再生を繰り返してきた歴史です。皆さんは今、厳しい時期に生まれ合わせ、そして、嵐の日に入学式を迎えた。こんなことに屈する自分ではない。屈する郷土ではない、日本ではない。そういう思いを持って、暗ければ暗いほど夜明けは近い。そういう思いも持って自らが大きくなり、そして知友と郷土、そしてパブリックを広く包摂する皆さんに成長されるということを期待して、わたくしの祝辞といたします。本日は本当におめでとうございます。


平成24年4月27日公表メッセージ
≪熊本県立大学理事長に就任して≫

 私は兵庫県西宮市に生れ育った。六甲の山なみと甲山に抱かれた苦楽園の美しい丘陵地帯が、私のふるさとであった。

 中高時代は神戸の六甲学院に通い、山岳部に入り、毎土曜日、先輩のリーダーに率いられて、六甲山の尾根や沢を歩いた。足腰が強くなり、六甲学院の名物である厳冬の60キロマラソン(強歩会)に、中3から高2まで三年連続優勝したのがなつかしい想い出である。

 六甲学院の修学旅行は九州であった。それが熊本を初めて訪れる機会となった。別府から出来たばかりの山なみハイウェーに乗り、バスガイドさんに「阿蘇は~朝霧り~夕べは~夜霧り~よ~」と歌を覚えさせられた。雄大な阿蘇の景観は、(緑色の火口湖はガスで見えなかったとはいえ)大感激であった。自然美の好きな私にとって、水前寺公園のこんこんと水の湧き出る情景は忘れ難いものであった。熊本の地は私の心になつかしく刻印された。

 京大法学部に入ると、全国から様々な若者が集っており、世界が急に広くなった。都市近郊に育った私にとって、もっとも自分にないものを感じたのが、熊本の農村部から来た坂本という同級生だった。篤実重厚でがっしりした体躯の大地に足を根ざした若者で、私は異質なものへの敬意を覚えた。

 大学紛争さなかの京都大学で、石原莞爾と満州事変について、昭和44(1969)年に修士論文を書き、広島大学に最初の職を得た。若い研究者として13年間を広島の地で過ごしたが、その間、万年Bクラスだった広島カープが初優勝をとげた(私は唯一人、五月か六月にそれを予言し、カープファンを驚かせ、有名になった)。

 助手、講師を経て助教授となった1977年、私はアメリカ学術協会(ACLS)の試験に合格して、2年間ハーバード大学に留学した。当時の私の研究テーマは、米国の日本占領政策であり、日本大使の任を終えてハーバード大学に戻っていたライシャワー教授の隣室にオフィスを与えられた。教授自身、日本占領に関与を持っていたので、私がワシントンの国立公文書館で集めた原資料を手にしながら占領研究の状況を説明すると、教授は眼を輝かせて応じ、アポの時間を超えて熱く論じ、家族ごと御自宅に招いて下さった。

 同じくライシャワー教授の許へ出入りする日本人がいた。彼は世界の22カ国の民主主義諸国の政治文化をシドニー・バーバ教授の指導の下で数量政治的手法を用いながら比較分析を行っていた。その中で日本政治を論ずるため、ライシャワー教授をもアドバイザーとしており、その足許で私たちは出会った。現熊本県知事、蒲島郁夫の35年前、学者の青春まっさかりの若者の姿であった。

 この若者は、ハーバードに集まる他の日本人と違っていた。外国からのお客さまのようではなく、アメリカの大地にしっかと足を踏みしめ、自力で歩いていた。聞けば、アメリカの奥地をめぐり、ネブラスカ大学の農学部に学び、豚の交配について“蒲島理論”なるものを打ち出すほどに独自の研究成果をすでにあげたという。それでいて、やはり家畜よりも人間社会の政治こそ学びたいと考え、ハーバードの大学院へ転進してきたという。

 著名な一橋大学の今井教授がハーバードに滞在しておられ、一夕、お宅のパーティに蒲島さんと共に招かれたことがあった。夜もふけ宴たけなわの折、電話がかかり、なんと蒲島さんの車がチンピラグループに盗まれ、クラッシュ・ゲームに使われたという。アメリカ社会では車がなければ何も出来ない。私もハーバードに着いて間もなく、自転車を盗まれたことがあったが、その時に家族全員が受けた衝撃を想い出した。(その時、三才の息子はバットを手に、犯人を殺してやると怒った。子供用の彼の座席は自転車の後に、娘の座席は前に据えて、車を買うまで親子三人の行楽と交通の貴重な手段であった。)驚いたことに、蒲島さんは動揺の様子なく、冷静にいくつか電話をかけ、破壊された車を見に行ってくると出かけた。泣き言を全く言わない、後向きの発想を自らに許さず、起ったことは起った事実として受けとめ、どうするのがその事態への対処として一番よいかを考え、それに沿ってよどみなく行動するひとである。どんな事態に際しても、前向きに危機対処のできる日本人がいることを知り、私は嬉しく思った。

 私自身がハーバードに学ぶ日本人の中でいささか変わっていたのは、オフィスと秘書(共同だが)を与えられたのを活用して、米国側の教授や学生と、日本から来ている学者・専門家を集めて月一回の「日米関係セミナー」を開始したことだった。日米対抗のソフトボール大会もやり、日本側がスクイズでサヨナラ勝ちしたこともあった。こんなもの好きな私の振る舞いを、ハーバード大学は前向きに評価してくれて、一年間の留学予定が、ハーバードのお金で二年に延長された。

 この時期に始まった蒲島さんとの交友が、私を熊本に呼び出すことになろうとは、もとより想像もしなかった。帰国した蒲島さんが日本でデビューするのを、宮崎市で開催された学会で目撃した。前夜、何人かと夕食を共にしたが、飲めない私はそのままホテルに帰り、蒲島さんは仲間と明け方まで飲んだという。そんなことで学会初報告は大丈夫かと秘かに心配したが、論旨明快、堂々たるもので、全く杞憂であった。とりわけ質疑応答の部が日本人離れしたもので、並みいる大家・先輩たちの申し立てを臆することなく切り裁いた。自立した確かな極たりうる若手学者が現れたことを示す初報告であった。事実、その後の蒲島さんは筑波大学助教授から東大教授となり、政治意識の研究を中心に日本における政治学をリードし、新聞メディアを通じて社会の政治認識をも支える存在となった。また教え子を大切にし、ゼミ生たちの研究を束ねて出版させるのを見て、私はさらに尊敬心を深めた。

 その間、私は広島大学から神戸大学に転じ、日本政治学会の理事長を二年間務めることになった。蒲島さんは学会で国際交流部門のリーダーだった。日欧の政治学者が集う共同研究を企画し、熊本ホテルキャッスルで開催された。愛郷心の強い蒲島さんは、日本と世界の友人に熊本のすばらしさを知ってもらいたかったのだと思う。エクスカーションで阿蘇へ赴き、その時初めて緑の火口湖を見ることができた。

 圧巻は、蒲島教授の提案により初めて世界政治学会(IPSA)の大会を日本で開催したことであった。全世界の政治学者が福岡に集い、熱い討論を繰り拡げ、折からのどんたく祭りに日本の地域文化のパワーを楽しみ、大成功であった。私を含む二代の理事長が大会委員長を蒲島さんから仰せつかったが、蒲島企画に乗ってよかったとつくづく思った次第である。

 ことほどさように、蒲島さんとの間には互いのやることをあたたかく見つめ、必要なら支え合う関係が、いつしか形成されていった。そうした積み重ねがなければ、知事から私が県立大学理事長に招請されることも、私が受けることもなかっただろう。

 経緯はともあれ、この魅力あふれる熊本の地での交わりを、私は心から楽しみにしている。熊本には豊かな歴史と文化と大自然がある。また、防大校長としても数多くの人材を提供してくれた熊本の地に感謝してきた。西部方面総監部があり、久留米の陸自幹部候補生学校も近く、防大校長時代には頻繁に熊本に来ていた。防大時代の宮下幹事(副校長)が今や西方総監であられる。九州の安全、日本の安全についても、この地で一緒に考えたいと思っている。

 愛郷心の強い若者が多く集る熊本県立大学はすばらしいと思う。地域との共同事業が全国的に見ても多い大学だと思う。高校と組んで食の企画づくりまでするという。里山を守るプロジェクトにも感動を覚える。

 地域性とともに、高い全国水準・国際水準を身につければ最高だと思う。若き日の蒲島青年のような人が次々に出てほしいものだ。伺えば、県立大学の先生たちは、ほぼ全員が文科省の科学研究費に応募し、高い比率で採択されているという。幸いなことに教師陣が高い水準にあることの証しである。これを誇りとし、学生諸君は意欲的に学んで、高い能力を身につけながら、眼を輝かせて郷里を支える人材となってもらいたいと思う。




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