徳富蘇峰 of すごかもん

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とくとみ  そほう

徳 富 蘇 峰





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3つの世代を生きた男

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 1863年に 上益城郡杉堂村 で生まれる。本名は 徳富猪一郎とくとみ いいちろう 。弟は小説家の 徳富蘆花とくとみ ろか である。
政治家、ジャーナリストなど様々な顔を持ち、広く活躍しており様々な人物と交流 があり、明治・大正・昭和と3つの世代で大記者とも呼ばれている。
幼い頃から私塾で学び、 熊本洋学校 東京英語学校 同志社英学校 と次々と 編入 していったが、卒業間近で同志社英学校を退学した。
20歳で 大江義塾 を設立し、それと同時に 自由民権運動 に参加している。
上京後は、 民友社 を結成し『 国民之友 』や『 国民新聞 』を発刊し 藩閥政治 に反対した。しかし、下関条約が結ばれた後、意見を変えて味方になったので、反対派から国民新聞社は焼き打ちにあった。
1911年、 桂太郎 推薦すいせん 議員 となるが、桂の死後は政治の世界から離れた。
1918年から1952年の34年をかけて 近世日本国民史 を書き高く評価される事となる。これは、織田信長の時代から西南戦争までを書いた歴史書で、全百巻にも及ぶ作品である。
妻の静子夫人が先に亡くなったあと、1957年、 熱海あたみ で亡くなった。94歳だった。

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くわしく知りたい

徳富記念園.jpg熊本にある、蘇峰記念館のようす。 まわりには自然がいっぱい!
蘇峰の書(忍辱).jpg蘇峰がかいた文字です。
sibasaburo.jpg北里柴三郎の像の下に書いてある字は、蘇峰がかいたものです。人のつながりがおもしろいですね。