本学文学部は、江戸時代の文学・文化の魅力や特色の紹介を趣旨として、3名の専門家を講師とする公開講座を企
画し、去る11 月1日(土)にその第2 回目を開催致しました。71名の参加者があり、13名の本学学生以外は、初回
同様幅広い年齢層の方々にお集まりいただきました。
講師は本学文学部の大島明秀教授。歴史学を専攻され(特に蘭学・蘭学史)、今回は、元禄3年(1690、芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た翌年)に日本に来訪したヨーロッパ人(=日本にとっての他者)の目に“江戸”はどう映ったのかという視点で、「エンゲルベルト・ケンペルの見た元禄日本」と題してお話しいただきました。
講演では、まず前提知識として、ケンペルが日本を訪れるまでの足跡を概観。バタフィア(現ジャカルタ)で医師としての勤務を希望するも叶わなかったため、日本に赴いたこと、滞在した各地で旺盛な知識欲を発揮し、文化・言語の記録に努めた様子などを確認されました。
続いて日本滞在中の活動を、5代将軍徳川綱吉謁見に関するエピソードなどを織り交ぜつつ説明され、ヨーロッパ帰還後不遇な私生活のかたわら、各地への旅行で得た知識、特に植物学・医学・薬学に関する書物『廻国奇観』を1712年に刊行し、その4 年後没したことを述べられました。
また、最も著名な『日本誌』に関しては、原稿に近い独語草稿「今日の日本」ですら4 人の手が入り、1727年に刊行された英語版(以後これを元に仏語版・蘭語版が作られる。このうち蘭語再版の一部を志筑忠雄が訳出したのが「鎖国論」)も、ケンペルの甥の原稿に基づくとされたドーム版(独語版)も、いずれも訳者・編者による改稿が施され、ケンペルの意図を正確に伝えるものでないことを解説されたほか、その具体的情報源となった、日本から持ち帰った書物などを紹介されました。
最後に、「今日の日本」における神道研究について、ケンペル以前のイエズズ会士らが仏教を興味の対象としたこと、儒教研究はすでに進められていたことなどが背景にあると指摘された上で、“異教”である神道を冷静かつ客観的に分析の対象としたのは特筆すべきことと述べられました。
講演後は出席者からの質問にも懇切にお答えいただきました。現代と近世、日本とヨーロッパ、日本語・ドイツ語・オランダ語を縦横に行き来するスリリングかつ来場者の知的好奇心を刺激する内容であったこともあり、今回もまた盛況の内に閉会致しました。