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特別講座「江戸の文化を見る、知る、読む――南畝・ケンペル・蔦重とその時代――」を開催しました

2025年10月4日(土)、11月1日(土)、12月20日(土)に熊本県立大学小ホールにて、特別講座「江戸の文化を見る、知る、読む――南畝・ケンペル・蔦重とその時代――」を開催しました。のべ223名の方々が参加されました。

【第1回】「大田南畝と江戸狂歌の流行」

本学文学部は、江戸時代の文学・文化の魅力や特色の紹介を趣旨として、3名の専門家を講師とする公開講座を企画し、その第1回目を開催致しました。71名の参加者があり、10名の本学学生以外は、幅広い年齢層の方々にお集まりいただきました。

講師は法政大学の小林ふみ子教授。近世文学を専攻され、特に天明狂歌やその主導的立場にあった大田南畝の研究の第一人者であり、今回も「大田南畝と江戸狂歌の流行」と題してお話しいただきました。

講演では、狂歌の歴史から説き起こした上で、天明狂歌流行の源が南畝が学んだ内山賀邸の門にあったことを指摘。その門人の一人、小島謙之(狂名、唐衣橘洲、田安家家臣)の狂歌を例に、その雰囲気を説明されました。続いて南畝が実は幕臣であり、漢学を修めた優秀な人物であったこと、18歳の時にすでに漢詩用語集『明詩擢材』を刊行し、翌年の狂詩集『寝惚先生文集』が文壇へのデビューであったというように、その教養の根幹に漢詩文があることが説明されました。

その上で、狂歌師四方赤良としても頭角をあらわしてゆく様子を、多くの作品の鑑賞を通して丁寧に解説され、その本質に門付け芸「万歳」に通じる「めでたさ」があること、狂歌流行に蔦屋重三郎が大いに関わっていたことなどの指摘があり、その具体例として極めて美麗な多色刷り狂歌絵本『画本虫撰』・『潮干のつと』(いずれも蔦屋版)などを例示し、その高度な出版技術についても触れられました。

講演後は出席者との質疑に応じられ、先生のお気に入りの狂名(駄洒落に満ちた狂歌師達のペンネーム)が明かされる一幕もあり、盛況の内に閉会致しました。

【第2回】「エンゲルベルト・ケンペルの見た元禄日本」

11 月2 日(土)に第2 回目を開催致しました。71 名の参加者があり、13 名の本学学生以外は、初回同様幅広い年齢層の方々にお集まりいただきました。

講師は本学文学部の大島明秀教授。歴史学を専攻され(特に蘭学・蘭学史)、今回は、元禄3 年(1690、芭蕉が『おくのほそ道』の旅に出た翌年)に日本に来訪したヨーロッパ人(=日本にとっての他者)の目に“江戸”はどう映ったのかという視点で、「エンゲルベルト・ケンペルの見た元禄日本」と題してお話しいただきました。

講演では、まず前提知識として、ケンペルが日本を訪れるまでの足跡を概観。バタフィア(現ジャカルタ)で医師としての勤務を希望するも叶わなかったため、日本に赴いたこと、滞在した各地で旺盛な知識欲を発揮し、文化・言語の記録に努めた様子などを確認されました。

続いて日本滞在中の活動を、5 代将軍徳川綱吉謁見に関するエピソードなどを織り交ぜつつ説明され、ヨーロッパ帰還後不遇な私生活のかたわら、各地への旅行で得た知識、特に植物学・医学・薬学に関する書物『廻国奇観』を1712年に刊行し、その4 年後没したことを述べられました。

また、最も著名な『日本誌』に関しては、原稿に近い独語草稿「今日の日本」ですら4 人の手が入り、1727 年に刊行された英語版(以後これを元に仏語版・蘭語版が作られる。このうち蘭語再版の一部を志筑忠雄が訳出したのが「鎖国論」)も、ケンペルの甥の原稿に基づくとされたドーム版(独語版)も、いずれも訳者・編者による改稿が施され、ケンペルの意図を正確に伝えるものでないことを解説されたほか、その具体的情報源となった、日本から持ち帰った書物などを紹介されました。

最後に、「今日の日本」における神道研究について、ケンペル以前のイエズズ会士らが仏教を興味の対象としたこと、儒教研究はすでに進められていたことなどが背景にあると指摘された上で、“異教”である神道を冷静かつ客観的に分析の対象としたのは特筆すべきことと述べられました。

講演後は出席者からの質問にも懇切にお答えいただきました。現代と近世、日本とヨーロッパ、日本語・ドイツ語・オランダ語を縦横に行き来するスリリングかつ来場者の知的好奇心を刺激する内容であったこともあり、今回もまた盛況の内に閉会致しました。

【第3回】「蔦屋重三郎の戯作出版」

12 月20 日(土)に第3 回目を開催致しました。これまでで最多の81 名の参加者があり、初回・第2 回同様幅広い年齢層の方々にお集まりいただきました。

講師は中央大学文学部国文学専攻の鈴木俊幸教授。近世文学を専攻され、特に後期の小説(戯作)・狂歌、そして、それら文芸の器としての書籍の出版・流通システムなど、幅広い分野で多くの業績をお持ちです。先ごろ放映が終了したNHK 大河ドラマ「べらぼう」(鈴木先生は監修者のお一人)の主人公でありました、江戸時代中後期に出版を生業とした蔦屋重三郎の出版活動と、同時代文芸との関わりなどについて、「蔦屋重三郎の戯作出版」と題してお話しいただきました。

講演では、江戸の公認遊廓新吉原に誕生した蔦重が、吉原細見の改め・卸しから出発し、その後出版に転じて吉原文化の広告塔としての役割を果たしつつ、当時一流の戯作者や狂歌師、絵師と提携して、時代を先導する出版物を手がけて、江戸文化の敏腕プロデューサーのごとき活躍を見せてゆくさまを、その出版物の画像を例示してたどられました。

特に、当時の出版事情に精通されていることもあり、洒落本・黄表紙などの戯作と称される通俗的読み物類が、意外にも売り物としては想定されておらず、あくまで武家作者(朋誠堂喜三二も恋川春町もそれなりに高位の武士)による趣味であって、現代のように「読者」を意識して著されたものではないという指摘は、一般的な文学史では抜け落ちた視点で、参加者に強い印象を残しました。

また、その背景として、近世中期の武家社会における徹底した世襲制があり、学才があってもそれを活かす場の無い状況が、一部の武士たちに文芸の世界でその鬱憤を晴らすことになったと解説されました。

さらに、上記のような戯作全盛は、田沼意次の経済重視の政治が江戸の好景気を呼び込んだことの反映であり、長くは続かず、彼の失脚の後登場する松平定信が登場して綱紀粛正が行われると、一転して不景気となり、それは贅沢を身上とする吉原にも打撃を与え、蔦重も方針転換を図ったことが説明され、その商才の確かさ、機を見るに敏な姿が彷彿とされました。

最後に、寛政の改革を経て文壇から退場した武家作者にかわって町人作者が活躍しますが、その中心であった山東京伝もまた、いち早く蔦屋重三郎によって丸抱えにされて、その出版活動を支える存在としてゆく様子を、その著作を中心に説明されました。

講演後は出席者からの質問にも懇切にお答えいただきました。大河ドラマの監修者に直接質問できる貴重な機会ということもあってか、蔦重の出身地であり、講演の中心的話題であった吉原についての質疑を中心にして、最終回もまた盛況の内に閉会致しました。 

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