日本語の熊手
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研究室から
文の分類と「が」「は」  半藤英明
                  *
 「私は男だ。」と「早く行け。」とでは、文のタイプが異なる。前者は「平叙文」、後者は「命令文」である。一般的には「平叙文」「命令文」「疑問文」「感嘆文」の4分類が言われるが、それらは元々英文法にならった類別ともされ、様々な日本語分析の場面において不都合を生じさせることも、ないではない。例えば「それみたことか」は、表現形式としては疑問文であるが、意味内容的にも疑問であると直ちに受け取れるであろうか。即ち、この4分類は、必ずしも万能ではないのである。

                  **
 日本語研究の中には、「が」と「は」の言い換えを駆使する等の手法により、その違いを見出そうとする対照研究が数多く見られる。が、助詞の分類上、「が」は格助詞、「は」は係助詞であり、機能が異なる。そのため、並行的に比較・分析したのでは、用法上の違いは明らかにし得ても、それらの使い分けの点で疑義が残る。ここに筆者は、「が」と「は」の使い分けの問題を、文の分類との関わりで論ずる。それらの使い分けが、文の分類と連動していることを紹介したいがためである。

                  ***
 格助詞「が」の機能は、「格」表示の機能である。「格」とは、文中で上方に位置する体言と下方にある述語用言(動詞・形容詞・いわゆる形容動詞)との関係のあり方を指す概念である。述語用言が表す動作・状態・存在・属性の主体に当たるのが主格であり、例えば「食べる」という動作の主体は、主格助詞「が」により「猫が」と示される。また、何を食べるのかという動作対象は、対格(目的格とも)助詞「を」により「魚を」と示される。そこに「猫が魚を食べる」という文の成立がある。それぞれの格は、述語用言にあらかじめ設定されているものとされ、必要に応じて表現として顕在化するが、文の理解上、自明であることを強くすれば省略されもする。 格が述語用言に設定されるものである以上、体言に助動詞を付した「男だ」のような述語形式に格の存在は想定しにくい。即ち、「男だ」という述語からは主格助詞「が」の表示が要求されにくいのである。そこに登場するのが「は」である。
 係助詞「は」の機能は、係機能(取り立て機能)と言い、上接する体言・連用語と下方の述語との関係を特別に扱い、意味形成(主題・対比)を行うものである。体言とはモノ・コト、即ち、事物を表す語性にあり(サマ、即ち、様態を表すものは形容動詞の名詞成分となる)、体言と述語との関係を特別なものとして示す上では、その体言が如何なるもの・ことであるのかを説明すること(主題―解説の構造という)が最重要となるため、「犬は動物だ」のように、文の形式は体言に助動詞を付す述語形式、「名詞述語文」が基本となる。一方、連用語(格の表現・副詞・活用語の連用形)と述語との関係を特別化することは、連用語から述語への連用修飾に介入することであるから、当然、名詞述語文は形成されず、従って、ほぼ主題―解説の構造にはなり得ず、「国内旅行には行く(海外旅行には行かない、のごとき含みが生ずる)」のように対比の用法となる。

                   ****
 前述の「『男だ』という述語からは主格助詞『が』の表示が要求されにくい」の解説に戻るが、「男だ」を述語にすることは、名詞述語文を形成するということである。名詞述語文を作るのは「は」の基本とするところであるから、「男だ」を述語とする文では「私は男だ」のような「は」構文が典型となる。つまり、名詞述語文の主述構文(主語・述語の構文)は、「は」構文が典型なのである。「私が男だ」のような「が」構文は、名詞述語文の典型ではなく、本来は格関係を持たない述語(名詞述語)に敢えて格を押し付けることで、「他の誰でもない、私が」の意を持つ特別な用法(言語学では「総記」という)になる。
 名詞述語文と並立的な存在が「動詞述語文」「形容詞述語文(便宜的に形容動詞による述語文を含める)」である。前述の通り、述語用言には格が設定されるから、動詞述語文は格の表現を通常のものとし、その主述構文は「が」構文を典型とする。従って、動詞述語文に「は」を使用することは、格の表現を主題―解説の構造に組み替えることである。例えば「風が吹く」は動詞述語文としての典型であるが、「風は吹く」はその特殊型ということになる。形容詞述語文にも同様のことが考えられるが、私見によれば、形容詞述語文は格の表現として安定的ではない。その主述構文は、「地球は丸い(球形だ)」「福沢諭吉は偉い(偉大だ)」のように「は」を好む場合が多く、概して「が」も「は」も選択し得る。形容詞述語文の主述構文が「が」構文で安定しないことは「形容詞(および形容動詞)には格が存在しない」ことの表れと、従来の説とは反することを筆者は考えるが、ここでの深入りは避ける。

                  *****
 上記より、少なくとも次の点を確認しておく。

・ 名詞述語文の主述構文は、「は」構文を典型とする。
・ 動詞述語文の主述構文は、「が」構文を典型とする。

 従って、これらの典型から外れたものは特別の意味・意図を篭めた用法と解されることになるが、それについては「が」「は」それぞれ、または、助詞関連の各研究書に議論があるので参照されたい。読者からのご要望があれば、お応えもする。
 「が」と「は」の使い分けの問題では、如何なる述語文であるのかということが重要なのであり、冒頭の文の分類(4分類)からは見えないところが明らかとなる。即ち、文の分類ということでは、述語の種類からの分類ということも重視されなければならないのである。しかも、このことは「日本語が述語を中核とする」という日本語研究上の通念を再認識することでもある。

熊本県立大学文学部『文彩』第2号(2006.3)より転載
青木伶子先生に捧ぐ小論  川俣沙織(精華女子短期大学)
 修士論文『「は」の「対比」の用法に関する考察』において、体系的な「は」研究として最も参考としたのが青木伶子先生の『現代語助詞「は」の構文論的研究』(1992)であった。
 青木(1992)は、10,082例もの「は」の用例を採取・分析した、緻密かつ体系的な研究である。
 青木(1992)では、「は」の分類に際し
「T、文における表現論的に見ての基本的な結合点に置かれた場合、  U、文における基本的ならざる結合点に置かれた場合」
を重視している。
 つまり、青木は「は」が文のどの位置に存在するかによって「は」構文を大きく二つに分類しているのであるが、私論においては、「は」がどういった成分を承けるかによって
 第一の分類―「主語+『は』+述語」
 第二の分類―「連用語+『は』+述語」
 第三の分類―「述部への挿入」
の三分類とすることにした。
 青木(1992)の注目点T・Uの内、Tにあたるものが 第一の分類―「主語+『は』+述語」である。
 そして、第二の分類―「連用語+『は』+述語」及び 第三の分類―「述部への挿入」が、Uを構文的に下位分類した
「(一)格成分に下接するもの
 (二)連用修飾成分に下接するもの
 (三)並立成分に下接するもの
 (四)成分内に位置するもの」
に相当するのであるが、私論では、二類で充分とした。
 詳しくは『「は」の「対比」の用法に関する考察』(熊本県立大学『国文研究』第52号、2007)において既に述べたため記さないこととするが、青木(1992)における「(一)格成分に下接するもの」、「(二)連用修飾成分に下接するもの」及び「(三)並立成分に下接するもの」の三者を一括し第二の分類とし、更に「(四)成分内に位置するもの」の内、「二分結合には働かずに成分そのものを形成する要素となるもの」の例を分類から除いた上、第三の分類としたものである。
 この相違は、ひとえに青木(1992)の分類が文中での「は」の位置に注目したものであり、私論での分類が「は」がいかなる成分を承けるかによって為されたものであるかに因るものである。

 青木(1992)には、「 ハ の文法的機能は二分結合であり、表現論的機能は結合の前項提示である」、「 ハ の文法的意味は結合のとりたてである」とある。また、「主題」と「対比」の在り方については、「既に指摘があるように、他の対立的事態が強く想起されるか否かによるのみで ハ の機能として何ら異なるところはな」く、「何れか一方にのみ截然と分ち得るものではない」としている。 そのためか、青木(1992)では、「は」の基本的用法である「主題」及び「対比」が「は」の構文的分類とどう関わるのかという観点からの考察はなされていない。
 私論においては、構文上の区別である上記の三分類と「主題」・「対比」という用法上の区別とが一定の関係にあるという結論に達した。
 また、青木(1992)では「対比」の用法が「具体的対比用法」と「暗示的対比用法」の二用法であるとされているが、「対比」による並行的意味には曖昧さの度合いによって三段階に分かち得ると考えた。
以下の通りである。

構文上の区別 用法上の区別 並行的意味の曖昧さの度合い
第一の分類―「主語+『は』+述語」 「主題」の用法
「対比」の用法A 並行的意味・特定型
第二の分類―「連用語+『は』+述語」 対比の用法A 並行的意味・特定型
「主題化」の用法
第三の分類―「述部への挿入」 「対比」の用法B 並行的意味・幅広型
「対比」の用法C 並行的意味・曖昧型

 修士論文の執筆に際しては、青木先生の論に多くを学び、また、自論を構築する上での指針ともさせて頂いた。この場をお借りして、心からの敬意を表すると共に謹んで謝辞を申し上げたい。
かおり と におい の使い分け  半藤英明
 「かおり」も「におい」も、古くは奈良時代から見られる日本のことば(すなわち、和語)で、どちらも、美しく映える、というような意味で用いられていました。主に、花や葉の美しさを形容することばとして用いていましたが、平安時代ころには、美しい花や樹木の「におい」、つまり、嗅覚を表現する意味が派生しました。余談ですが、『源氏物語』には「薫君(かおるぎみ)」「匂宮(におうのみや)」という、二人の若くて美形の貴公子が登場します。浮舟という女性は、この貴公子たちとの恋愛に悩みますが、結局、どちらか一人を選べなかったところからすると、「かおり」と「におい」とは甲乙つけがたく、どちらが上等の意味か、というのは問えないものであったと思われます。今でも、「かおり松茸、味しめじ」は「におい松茸、味しめじ」とも言います。  漢字としては、「かおり」には「香」「薫」「馨」をあて、「におい」には「匂」をあてました。どの漢字も、好感の持てる良いもの、の意味を持っています。ただし、「匂」は国字で、中国のものではありません。中国では、よい「におい」を表す「香」に対して、嫌な「におい」を表す漢字が「臭」でした。日本人に、やがて「かおり」と「におい」を区別する意識が芽生えると、「かおり」は、これまで通り、好感の持てる良いもの、良い「におい」に対して用い、「におい」の方は、漢字の「臭」の意味でも用いるようになりました。従って、現在、「かおり」は良い「におい」の場合に使用し、「におい」は良い「におい」にも、くさくて嫌な「におい」にも使用します。「におい」の方が意味の幅が大きいのです。
 なお、女性の名前に「かおり」はありますが、「におい」は、まず、ありません。「かおり」には美的で上品なイメージがあり、「におい」は大衆的で俗っぽいイメージが漂います。このことをふまえ、ことばの使い分けをすると良いでしょう。例えば、「茶碗蒸しの柚子」の「におい」には、上品な「かおり」がふさわしく、「ごはんが炊ける」のあとに続くものとしては、大衆的な「におい」がふさわしいでしょう。使い方によっては、「かおり」は気取った感じにもなり、「におい」は庶民的でストレートな感じに受け取られるでしょう。

RKKラジオ番組(リスナーからの質問コーナー)でのコメント
佐世保探訪 内野樹
 2007年9月に半藤研究室の四人(先生含)で、一泊二日の長崎旅行に行って参りました。
 初日はまず佐世保に行き、そして長崎へ。二日目は長崎観光の後、熊本へ帰る、というスケジュールでした。
そこで、佐世保出身の私が佐世保編の模様をお伝えします。

 佐世保バスセンターに到着の四人、どうしましょうかということで、それじゃ私の母校の高校に行きましょうか、ということに。(半藤談・本当はそれこそが目的でした。)何でいきなり母校が出てくるんだ、という感じではありましょうが、私の母校は長崎県立佐世保北高校と申しまして、『限りなく透明に近いブルー』や『69』でおなじみの村上龍氏、代表作『海狼伝』をお書きになった作家、故・白石一郎氏、すばる文学賞を受賞し、映画化された『永遠の1/2』で知られる佐藤正午氏、柳生十兵衛シリーズなどの時代小説から現代ミステリーまで幅広く活躍なさった作家、故・峰隆一郎氏、流行語を産んだ漫画『オバタリアン』を発表し、人気を博した漫画家、堀田かつひこ氏など、多数の才能を輩出している学校なのです。多くの作家が巣立った学校の空気を感じにいこうじゃないかということで、私としてはおよそ二年半ぶりに母校へ。土曜日で本来は学校へは入れないのですが、北高の先生のご厚意で学校内を見学。恥ずかしながら私は高校当時からそんなすごい作家を多数輩出した学校だとはまったく知りませんで、だらだらと三年間を過ごしたわけですが、あらためて母校を訪ねてみるとなかなか新鮮なものでした。応対して下さった北高の先生にはたいへんお世話になりました。ありがとうございました。

 北高の次は繁華街の方へ。とりあえずハンバーガーを食べなきゃ話にならん、ということで、佐世保の数ある名店の一つ、「ビッグマン」のハンバーガーを食べることに。みなさんベーコンレタスバーガー(だったかな?)を注文し、少し歩いてなぜかハローワークのロビーで食べるという、人に説明するときにちょっとめんどくさくなりそうなシチュエーションになりましたが、肝心のハンバーガーはやはり名店のそれ、たいへんおいしゅうございました。佐世保にはオリジナルハンバーガーショップが本当にたくさんありまして、マ〇ドナルドやロッ〇リアなどのハンバーガーショップがなかなか佐世保には進出できなかったという話もあります。僕も高校まで佐世保に住んでたわけですが、やっぱりハンバーガー食ってましたね、休みの日の昼飯とかは。久しぶりに食べるとやっぱりいいもんですね、ボリュームが違います。 ハンバーガーを食べ終え、さて何をするっていう話ですが、九十九島があるじゃない、遊覧船があるじゃない、ということで、西海パールシーリゾートという遊覧船が乗れるところへ向かいました。タクシーで向かう途中、SSK(佐世保重工業)の壮観な眺めが見えたりなんかして、ああこれだよ、やっぱり佐世保はこれなんだよ、とか思ってました。西海パールシーリゾートへ着いて、チケットを買い遊覧船へ。きれいな船で、テンションも上がりました。私は久しぶりの九十九島でしたが、なかなか良かったです。船酔いに耐えて景色を満喫しました。クラゲがめちゃくちゃいたのがちょっと気になりましたが。
 佐世保編は大体こんな感じでおしまいです。僕自身久しぶりに佐世保に帰って楽しかったし、研究室の皆さんにも佐世保を満喫して頂けたと思います。OKよろしく。

長崎散策 樽角直行
 JR長崎駅に着いたのは四時過ぎごろだっただろうか。私たち四人はとりあえず今日泊まるホテルへと向かった。ホテルまではそれほど遠くなく、歩いていくことになった。が、失敗だった。夕立である。雨はどんどん強くなり小さな事務所のような所の軒下で雨宿りをする羽目になった(半藤先生だけは折りたたみの傘をお持ちだった!)。ところがこの小さな事務所の人たちがとってもとってもとっても親切な方々で、いきなり軒下を占領したわれわれを笑って許してくださり、「無理なら返さんでもよかけん。」と言って私たちに傘を三本くださったのだ!!皆さん、結婚するなら必ず長崎県人とにするべきであります。そうしていただいた親切にくらべると砂粒ほどのおじぎを返して再びホテルへ向かった。すると、みるみるうちに雨が上がっていくではないか。なんという皮肉だろうか。ホテルにつく頃には雨はすっかりやんでしまっていた。
 ホテルではそれぞれ荷物を置き、五時にホテルのロビーに集合して、まずはすぐ近くにある出島へと向かった。が、面白くなさそうなので、中には入らなかった。(だって五百円も取られるんだぜ!?)そうして我々は出島ワーフへ行くことにした。出島ワーフには歴史的にとても価値の高い建物がある、のではなくておいしそうな料理屋さんが並んでいた。少し早かったが、その中の一番おいしそうな店に入り、夕食をとった。そこではおいしいどんぶり物を食べ、若干のお酒を飲み、次は中華街へと足を向けた。新地中華街の入り口には大きな門があった。その前で記念の写真を取って、中に入ってみると、全体として少しこじんまりとした、そしてやたらと赤い色の店の多い通りであった。しかしながら、すでに満腹だった我々は何を買って食べるでもなく、お土産を買うでもなく、二件目の居酒屋を探してうろうろした。そして、ここだ、という店を見つけると今度は腰を落ち着けて飲み、食べ、話した。結局ホテルに帰ってからも飲み続け、眠りについたのは午前三時ごろだった。
 次の日は十時にホテルのロビーに集合、出発したのだが、これが眠い!当然だと思っていたのだが、しかし半藤先生は八時に起きて思案橋まで行ってきたという。先生、降参です。
 今日はまずグラバー邸へ行く事になった。正直あんまり面白くなかったのだが、いやいやこれは立派な建物なんだと言い聞かせながら色々と見てまわった。ただ、ここから見える街の景色はきれいだった。グラバー邸から降りてくる途中で大浦天主堂を見、そして児童書の展示会へ立ち寄った。子供の頃に読んでいた本を今読んでも面白いのはなぜだろうか、などと考えた。

 その後、中華街で昼ごはんにちゃんぽんを食べた。そこから平和記念像へ向かう途中で川俣さん(ゼミの先輩)と別れ、三人になると、先に浦上天主堂から見てこよう、ということになった。浦上天主堂は大浦天主堂と比べると落ち着いた雰囲気だったが、どちらの教会も私は気に入った。そして平和記念像まで戻ってくると、とたんに雨が強くなってきた。それでも大きな大きな平和記念像を眺めていると、首筋にピチッと痛みを感じ、次の瞬間ドッカーンと物凄い音が聞こえた。どうやらとんでもなく近いところに雷が落ちようだ。私たちは慌てて地下へ避難したが、もしあの時誰かに雷が落ちていて、平和記念像の前で人がバタバタ倒れていたら、ちょっとシャレにならない、などと話しつつ、長崎駅前まで戻ってきた。ここから熊本行きの高速バスに乗り、無事に今回の長崎旅行は終了するのであるが、家に帰ってもう一度長崎の地図を見てみると、ちょっと面白い事がわかった。長崎駅でもらってきた地図の左下のほうに、清水寺と八坂神社というのがある。これは、京都ではないか?こう見えても私は京都市の出身である。 まさか、パクられたのか!?次に長崎へ行く事があれば、ぜひとも訪れてみたいと思っている場所である。

鹿児島旅行記 樽角直行
  2008年9月、鹿児島旅行に行ってきました。メンバーは、半藤研究室の2〜4年生7人でした。今回の旅の目的は、14日に鹿児島大で学会があり、そこで発表される先輩の応援と、ついでに観光ということでした(いつの間にか観光の方がメインになっていた、というのは絶対に絶対に絶対に秘密です)。 1日目は鹿児島に行き、桜島を見て回り、鹿児島市内に宿泊。2日目は、午前中は学会に出席、午後は再び市内観光をし、夜に熊本へ帰る、というのが大まかな流れです。その1日目の様子をお伝えします。
  というわけで鹿児島です。が、その前に鹿児島までの新幹線の早さに驚きました。熊本から1時間ほどしかかからず、 いい意味で期待を裏切られ、到着と同時に幸せな気分でありました。  まずは昼飯を食べようということで、駅ビルにあるトンカツ屋に行きました。このトンカツが非常においしく、 「これほどやわらかいトンカツは生まれて初めてだ。さすがは鹿児島の黒豚」と感動すら覚えつつ、次はいざ桜島へ。
  桜島は、鹿児島市内から4キロほど離れた海上に浮かび、今もなお噴煙をあげる活火山で、その雄大な景観は実に見事なものである。 はずなのですが、当日はあいにくの雨でほとんど何も見えず、全員が「晴れていれば、晴れていれば・・・」とぼやきつつ、全員で真っ白な霧を見ていました。
 
  さて、桜島から戻ってくると、近くに文学館がある、ということで早速行ってみることになりました。かごしま近代文学館には、鹿児島にゆかりのある作家や作品が数多く展示されており、大いに勉強になりました。 なお、このかごしま近代文学館の周りには市立美術館・県立博物館、鶴丸城跡、黎明館、西郷隆盛銅像などなど多くの文化施設があり、通りの名前でもある「歴史と文化」を存分に味わうことができます。
  この後、天文館通り付近で夕食となるのですが、誠に申し訳ないことに、これ以降のことをほとんど憶えておりません。 というのも、わたくしこの時生まれて初めてタバコなるものを吸い、ニコチンや、タールや、一酸化炭素に散々にやられ、しかもアルコールのせいでひどく悪酔いし、ほとんど記憶が残っておりません。 ただ、もう二度とあんなものは吸うまい、と固く決心したことのみは、はっきりと憶えています。この後ホテルに戻り、もう一騒ぎして1日目は終了となります。
  このように、(タバコを除いて)非常に楽しかった鹿児島旅行ではありますが、ひとつだけ「まずい!」と思ったことがあります。それは、このままでは熊本は負ける、 という危機感であります。私は県外の出身ですが、熊本の人も街も大好きです。しかし、それ以上に鹿児島は魅力的に映ってしまいました。 とすると、その他大勢の一般市民にも同じように見られることになるかもしれません。これは大変な熊本の危機であります。なにしろ、2011年には九州新幹線が全線開通します。 そうなれば鹿児島は、博多から1時間半ほどしかかからないそうです。このままでは人は皆、熊本を素通りして鹿児島に行ってしまうのではないか、 というのが私の持った危機感であります。このような問題について、私にはほとんど知識が無いので詳しいことはわかりませんが、 熊本と鹿児島にこれまでとは少し違った興味と関心を持って、見守っていこうと思います。

鹿児島市内散策 川端歩
  市内観光バスの車内で先生や先輩方とお話していると話題は「日本語の熊手」へ。ゼミ旅行に参加した学生が書いた紀行文風レポートをホームページで公開しており、 とても面白く評判がいいとのこと。へー、ふーんと聞いておりましたら今年は私にと先生からご指名を受けてしまいました。昨年のレポートはここが良かっただとか、 日文の学生は皆文章を書くことが好きだからね、との言葉にプレッシャーを感じながら今この文を書いております。

  鹿児島二日目の今日は昼食をとった後、午後一時半頃バスに乗り込み鹿児島観光をスタート致しました。とても快適、とは言えない簡易座席に座り、 ブレーキのたびに滑り落ちるお尻をどうにか椅子に縫いとめながら鹿児島市内を回ってまいります。 鹿児島市は私達の住む熊本市と同じ城下町ですが、瀟洒な洋風建築の建物と鶴丸城跡の石垣が一種独特といいますか、洋と和が混在しながら他にはない街の雰囲気を作り出しており、 熊本城の印象の強い熊本で育った私にはとても新鮮なものに感じられました。
  バスはそんな市内を抜けて行き、くねくねと曲がりくねった坂道を上ると、西郷隆盛が最期の五日間を過ごしたといわれる西郷洞窟が見えてまいりました。 洞窟からは “西郷どん”の豪快で屈強なイメージは微塵も感じられず、 その小ささと鬱蒼と木々が茂る陰湿な雰囲気に驚きながら、西郷隆盛はどんなことを思いながら最期の五日間を過ごしたのだろうと考えました。
 そんなことをつらつら考えている間にもバスは薩摩義士碑や南洲公園の前をあっという間に通り過ぎ、今回の目的地である仙巌園へ到着致します。

  傘を差しながら園内を回っていくと、両棒餅と書いて「じゃんぼもち」と読むお餅(大変美味しゅうございました)が売ってありました。 「じゃんぼ」というのは方言的な読み方なのでしょうが、「両」を「じゃん」と読むのは他の地域にもみられるものなのでしょうか。 中国語の響きに似ているようにも感じますが…。一度きちんと調べてみようと思います。 両棒餅のいい匂いに後ろ髪を引かれながら園内を進んで行きますと、居住スペースだったと思われる家の縁側にお月見団子や果物などがお供え(?)されていました。 実は観光をした九月十四日は中秋の名月だったのです。家に帰ってから中秋の名月について調べてみると、意外なことが分かりました。 恥ずかしいことに私は調べるまで知らなかったのですが、お月見というのは二回するものだそうです。一般的に十五夜(旧暦の八月十五日)は有名ですが、 旧暦の九月十三日(十三夜)にもお月見をするのだとか。お月見は中国から伝わった風習ですが二回お月見をするのは日本だけで、 昔はこの風習を利用して十五夜だけお月見をしたのでは締りが悪いから、十三夜にも一緒に月を見ませんか、とデートの約束を取り付けたりもしたそうです。 島津のお殿様も十五夜の満月、そして目の前に広がる桜島と海をあの屋敷から愛しい人と眺めていたかもしれません。
  今回のゼミ旅行は、鹿児島の新と旧、異文化が同居する雰囲気と美味しい文化を存分に堪能することが出来、心もお腹も満足のものとなりました。が、実は今回白熊を食べられなかったことが残念でなりません。次こそは白熊を!

日本語助詞「は」と題目 半藤英明
「題目」とは

 日本語の現代語助詞「は」を論ずる上で欠かせない文法概念が「題目」である。しかし、その規定(定義)は、いまだ万人に共通のものとはなっていない。従来は、意味的な規定が「その文の内容の題目となるような語、つまりその文が何について述べられているのかを表す語を、文の初めに係助詞「は」を添えて示したもの」(明治書院『日本語文法大辞典』)のように緩やかで、そのために多様な解釈を許してしまう状況があった。そのような状況を好ましくないと見る立場から、出来得る限り、厳格な意味の記述を目指すことにする。

 まずは、厖大な「は」にかかる研究成果の中から、青木伶子、尾上圭介、丹羽哲也の論を取り上げ、「題目」がどのように把握されてきたかを捉える。それらを取り上げるのは、いずれもが「は」の研究においては決して無視することの許されない優れた研究だからである。以下に、それらの論から「題目」の規定に関わる要点を箇条書きにまとめる。

○青木伶子 『現代語助詞「は」の構文論的研究』(笠間書院)より

 ・題目とは、それについて以下に述べるために、格成分として述語に向かって従属的に組み込まれようとしていた文の流れからハによって完全に切り離され、前項として提示されたもの・事柄。或いは、論理的関係ではないながら、以下において、ついて述べるべく提示されたもの・事柄である。
 ・最も基本的な対立二項の前項として提示されたものに限る。
 ・真の題目とは基本的には「体言的語句+ハ」の形のもの、即ち格助詞のない場合である。
 ・「格助詞+ハ」の場合は、格述構造が完全に払拭されてはをらず、若し対比でなかったとしてもそれは真の題目とは異なるものである。
 ・題目は自づから一文に一つといふことになる。
 ・題目―解説が主文においてのみ指摘し得る構造である

○尾上圭介 「主語と述語をめぐる文法」『朝倉日本語講座6 文法U』(朝倉書店)他より

 ・「題目―解説」という表現論的な捉え方は、既定の、あるいは目前の何かに対して新たに説明を与えるという場合にこそ典型的に成り立つ。
 ・@一文の中で、その成分が表現伝達上の前提部分という立場にある。
   @―a 表現の流れにおいて、その部分が全体の中から仕切り出されて特別な位置にある。
   @―b その成分は、後続の伝達主要部分の内容がそれと決定されるために必要な原理的先行固定部分である。
  Aその成分が、後続部分の説明対象になっている。
 
○丹羽哲也 『日本語の題目文』(和泉書院)より

 ・「題目」を「主題」と言っても同じである。
 ・文の中で前項に対して何か述べる「題述関係」を構成する際の、その前項が題目である。
 ・「題述関係」とは前提として提示されるXに対してYを焦点として割り当てる「課題構造」に「主体と属性・状況の関係を組み込んだもの」である。
 ・ガ格が題目に立つのが多く、斜格が題目に立ち得るのは、その名詞句が述語とガ格関係(主体と属性・状況)にも把握されるからである。
 ・題目文が成立するための条件は、XとPの間に主体と属性・状況の関係が成り立つということであり、XとPの述語とが格関係にあることや、XとPの中の要素とが所属・類種関係にあることは、その関係を成り立たせやすくする条件としてある。

 上記の各論述は専門的であり、一般には分かりにくいところがあるため、それらを踏まえ、青木、尾上、丹羽による題目の捉え方を具体的な「は」構文で示すならば、次のようになる。(○=題目 ●=非題目)

青 木 尾 上 丹 羽
@ 同情は捨てる。
A ペナントレースは優勝した。
B 山高く、海広い。
C 海広いが、池狭い。
D 東京はビルが乱立している。
E 日本は箸を使う。
F 東京にはビルが乱立している。
G 日本では箸を使う。
H 私は辞書使わない。
I 父は家で箸を使う。
J 彼女には会わない。
K はっきりはしない。
L 寒くはない。

 @からLを眺めれば、題目をめぐる論点としてはFGが問題であることが浮上する。青木は「東京にはビルが乱立している」「日本では箸を使う」を「状況題目提示」として「題目提示用法の一種」に扱うが、尾上・丹羽は、格助詞を欠く「東京はビルが乱立している」「日本は箸を使う」は題目(青木も同じ)とするが、「東京にはビルが乱立している」「日本では箸を使う」は題目としない。
 尾上によれば「この部屋は大きな窓がある」の「この部屋」は「状況語」であって「格項目」ではない。これは即ち、存在の場が主語になっているもので、しかも、その主語が題目語になっているものである。一方、「この部屋には大きな窓がある」は存在場所ニ格のニ格項が題目化されたケースである。つまり「この部屋は大きな窓がある」は「この部屋に大きな窓がある」における「この部屋に」という「状況語」が題目化したものではない。このような考え方では「東京はビルが乱立している」「日本は箸を使う」は存在(または事態)の場が題目語になったものであり、「東京にはビルが乱立している」「日本では箸を使う」は存在場所のニ格項、デ格項が題目化したものであり、それぞれの文の成り立ちは異なっていることになる。

格助詞の問題よりも「は」が問題

 しかし、筆者はこの点を問題とする。伝達情報上の観点からすれば、「東京はビルが乱立している」と「東京にはビルが乱立している」、「日本は箸を使う」と「日本では箸を使う」は、ほぼ対等である。それらを意味的な違いによって使い分け、また、区別することは難しいと思える。格助詞の有無が表現性の異なるものを形成するとの考えは理解し得るが、格助詞の有無が題目か否かを決定する最大要因であるべきとは思えない。次の例でも考えてみよう。
  1 彼は誠意がない。
  2 彼には誠意がない。
 これらは、「彼」が「誠意がない人物」である、と認定される判断文として、ほぼ同義である。敢えて違いを出せば、1は「彼という人は誠意がない」、2は「彼について言えば誠意がない」という解釈になるが、それらは結果として「彼」に「誠意がない」というところで同義である。
 2のように「には」の「に」があってもなくてもほぼ同義の文が成り立つことは、そのような文では「は」の役割が中心的であり、「は」が文全体を支えているということになる(「では」にも同類がある)。即ち、それらの文は「は」で示されるべき情報ということでもある。青木によれば、前掲1は格助詞のない「真の題目」、2は、対比性のないものは「彼」を場所の扱いにして述べる「状況題目提示」となるのだが、「状況題目提示」の場合は格助詞「に」「で」の働きを薄くしており、「は」のみでの題目とほぼ変わらぬものを作っていると見ることもできる。その意味で、筆者は1を題目、2を非題目と区別することに消極的である。
 但し、次の「あなたには」「彼には」では、「に」を欠く表現が有り得ず、「に」の役割が不可欠な情報であって、前掲2とは別の事例である。
  3 あなたには愛を届けたい。
  4 彼には朗報だ。
 どちらも状況成分、即ち、場所・場面を表す「に」とは考えにくく、「状況題目提示」とは見做せない。なれば、青木によっても非題目ということになるが、それらは対比の用法に特定されるものでもなく、「絶対的な取り立て」としての主題用法の例とも解することができる。即ち、それらを「あなたに対して愛を届けたいということ」「彼にとって喜ばしい出来事であるということ」の意味で解し、そこに「他の者には愛を届けたくない(が)」とか「他の人には喜ばしくない出来事だ(が)」のような対比的含みを想定しない解釈である。(紹介はしないが、「に」が主題用法となるという論は既に存在している。)
 例文3・4は「に」の役割が不可欠であり、しかも「あなたに愛を届けたい」「彼に朗報だ」が既に判断文を作っていることで「は」が使用され易い状況にある。このときの「は」は、例文2のように文全体を支えるということよりも、「あなたに」と「愛を届けたい」、「彼に」と「朗報だ」の連用関係を二分結合して事態承認し、それらが判断文の構成素であることを明確にする役割にある。即ち、「は」の前項「あなたに」「彼に」は、「は」による判断文としての前項である。「判断文としての前項」という観点からは、「は」の前項が体言か格成分かは問題にならない。例文1・2も無論、「判断文としての前項」である。「は」の前項と後項との関係性よりも「は」構文全体の表現性という観点を優先すると、後述のように構文的な枠組みにとらわれない題目の規定が可能となる。

題目は「取り立て」機能と連動する

 「は」の用法には、対比性の観点からは主題・対比の区別、構文上の位置からは体言下接・連用語下接・連語内(「見はする」の類)の区別がある。筆者は、それら全ての用法が「取り立て」機能に基づくと考えるが、問題は、そのような理解の、どこに「題目」を位置付けることが有効かということである。
 「は」の本質的な働きである「取り立て」機能は、連用成分に影響されることはあっても(格助詞、副詞に下接の「は」は対比用法になり易い)、そのことで変質・変化するようなものではない。「取り立て」機能が体言同士や連用関係、連語内など、様々な語句の結合に使用され、総じて判断文を作ることからすれば、題目は「は」によって成る判断文の構成内で把握されるのが良い。
 文のタイプとして、おおまかに現象描写文と判断文とを設定するとき、次のように存在を表す動詞述語文(主語を省く)は前者である。
  ・ 庭にいる。
  ・ 壁に飾ってある。
 また、次のように動作を表す動詞述語文も、現象描写文の扱いができる。
  ・ 親に貸す。
  ・ 裸で走り出す。
 いずれも表現形式上は主観的判断の介入がなく、内容上の客観性が高いことでは判断文とならず、「現象」の「描写」とは呼べないものがあるにしても、その範疇には置ける。
しかし、それらに「は」を入れ込むことで、次のような(対比性のある)判断文ができる。なお、以下の例文の中では「裸で走り出す」が「は」の付きにくい成分と見られ、「は」を持ち込むと否定文の方が安定する。
  ・ 庭にはいる。
  ・ 壁には飾ってある。
  ・ 親には貸す。
  ・ 裸では走り出さない。
 これらの判断文は、「は」が前項と後項との結合を担うことで成立しているものであり、「は」の前項と後項とは、判断文を構成する上での直接的な、且つ、主要な構成素である。これらの「は」の前項が判断文の主要構成素と認識されるについては、それらを、例えば「何処にもいないのだろうか」や「何処にも飾ってないのだろうか」、また「誰に貸すのか」や「走り出さないとすれば、どんな姿か」のごとき質問の表現に応ずる回答文として把握するとき、特に顕著である。このとき「は」の前項はトピック的な要素である。
 「は」構文の成立で基本的に重視すべきは、情報伝達上の意味的構成の適否である。そのことは、大野晋をはじめ、菊地康人、森田良行からも発せられている。それらをまとめれば、「は」の前後二項の結び付きは融通性を有しており、「は」構文による判断文は「は」の前後二項の論理的構成には必ずしも拘らないことが明らかである。従って、判断文の主要構成素となる「は」の前項を「題目」と捉えるならば、ここに題目の概念は、格助詞の有無とは関係しない、文の表現構成上の概念という位置付けになる。前掲「庭にはいる」以下の例に加え、「ゆっくり(と)は食べない」「少しは感じるだろう」など、副詞を承ける「は」についても、例えば「君は、早食いか」や「彼は、何も感じないのだろうか」のごとき質問の表現に応える回答文として見れば、それらはトピック的な要素であり、「判断文の主要構成素たる前項」という認識が可能となる。

松下大三郎に帰る

 文法に「題目」の概念を持ち込んだのは、明治・大正期の国語学者である松下大三郎である。『改撰標準日本文法』(一九七四年、勉誠社、徳田政信編、初版は一九三〇年に中文館書店より)から引用すれば、「題目語は提示的修用語の一種であつて思惟作用に於ける判斷の對象を提示するものである」。松下は「花は咲く」(=「主體の題目語」)をはじめ、「花をば見る」「花は見る」「都には上がる」「人とは交る」「家よりは出づ」「雪よりは白し」など(=「客體の題目語」)、実に幅広い対象を「題目語」として挙げた。筆者は、その理解に全面的に従うものではないが、ここに振り返れば、それは係助詞の「取り立て」機能の実体を反映するものであり、また、それを示唆している点で、極めて注目すべきものであったと考える。結局、「題目」の意味の規定は、松下に基づきながら、係助詞「は」の研究成果を踏まえて行うべきものということになる。以下に、筆者として「題目」を規定する。

 「は」構文は「は」の前項と後項との二項により判断文の構成に関わる。このとき「は」の前項がその判断文の主要構成素であれば、これを「題目」とする。題目が「は」による判断文の主要構成素となる二項のうちの前項であるからには、青木(前掲)も述べたように、題目は一文に一つが原則となる。主要構成素としての二項は語順とも関係し、一文中に複数の「は」が現れる際は、最上位のものが題目となる。「は」を下接するも、述部となる連語内の用法の前項部分と、複数の「は」が現れる文中で、より下位のものは、非題目である。
 従って「は」の構文上での現れ方によっては、承けるものが同じものでも題目・非題目で分かれる場合がある。

 ・ 私は会わない。→「私は」は題目
 ・ 私はあなたとは会わない。→「私は」は題目、「あなたとは」は非題目
 ・ あなたとは会わない。→「あなたとは」は題目

(2009.3.1)
日中研究交流シンポジウム 半藤英明
 2009年8月、国立南京大学でシンポジウムがあった。中国における日本語・日本文学の研究動向を知ることができ、有意義であった。「題目、題目語とは何か」のタイトルで係助詞「は」の機能や「は」構文の構造について発表した。

 南京は、江南地方(揚子江の南)に位置する。揚子江の下流から上海、蘇州、無錫、鎮江、南京と続く江南地方は、中国で最も豊かとされる地方。南京の先には武漢、更に上流には重慶があり、その三都市が三大ストーブ(最も暑い土地)とされる。

 南京は明の都で、600年の歴史のまち。前の応天。中国では、1000年の歴史を見たいなら西安、500年の歴史を見たいなら南京・北京(北京は清の都。前の燕京)、200年の歴史を見るなら上海、と言われている。南京は、中国の中で緑化率1位の「みどりのまち」。すべての通りに街路樹(ほぼプラタナス)がある。

 参考までに中国は人口13億、面積は日本の26倍。23省と自治区がある。省の管理下に市、市の周囲に県がある。(もちろん、日本では市より県が上位。) ちなみに南京は江蘇省。政府による四直轄市として北京、天津、重慶、上海。(以上、ガイドの苗春蓮さんの説明より)


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@ 南京大学



A 明孝陵(明皇帝・朱元璋の墓)



B 中山陵(孫文の墓)



C 中華門(文字は蒋介石)



D 揚子江



E 閲江楼(朱元璋の弁を後世に実現したもの)




 2006年8月、北京・中国社会科学院で、日中言語文化国際シンポジウムがあった。「翫・玩・弄の和訓、語義など」のタイトルで漢文訓読語「もてあそぶ」の史的変遷について発表した。北京大学も訪問。


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@ 中国社会科学院



A 北京駅



B 北京大学



C 天安門広場



D 万里の長城



中日韓言語・文化研究国際学術共同シンポジウム 半藤英明
 2011年8月、西安(中国)の陝西師範大学で標記のシンポジウムが開催された。日本、中国、韓国の日本語・日本文学研究者が3分科会に分かれての合同討議を行った。第3分科会での司会とともに「疑問文は判断文か−「は」構文の場合−」を発表した。

 西安は古い都(かつての長安)で西方の中核都市、大学が多く、芸術も盛ん。中心部は明の時代に復元された城壁に囲まれており、郊外では農業が盛んで、野菜、果物が豊富。


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@ 陝西師範大学



A シンポジウム会場


B 碑林博物館  顔真卿、王義之の碑がある



C 秦始皇帝象  兵馬俑博物館の入り口付近にある


D 兵馬俑


E 青竜寺・恵果空海記念堂  空海が修行した寺


F 大慈悲寺・大雁塔  玄奘(三蔵法師)が仏典を翻訳した場所


アメリカ合衆国訪問 半藤英明
 2011年9月、ニュージャージー州にある州立ラトガース大学、プリンストン大学を訪問した。ラトガース大学では明治時代に熊本から留学した横井左平太、大平兄弟(横井小楠の甥)の足跡調査、プリンストン大学では明治4年開校の熊本洋学校で教師を務めたジェーンズの記録を調査した。


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@ ラトガース大学


A ラトガース大学


B 蓑茂理事長、マコーミック学長とともに


C グリフィス・コレクション中の横井兄弟の写真


D プリンストン大学


E プリンストン大学


F NYのセントラルパーク


益岡隆志先生集中講義 佐澤有紀
 2011年9月20日から23日にかけて、神戸市外国語大学の益岡隆志先生に集中講義(言語文化研究V)をしていただいた。複文のタイプが文の構造と深い関係にあること、連体複文と連用複文の問題など、現代語文法についての理論と考察を詳細に論じられた。文法研究を志すものとしては視野の広がる時間で有益であった。


研究室にて益岡先生、半藤先生とともに



日中国際日本語研究フォーラム 半藤英明
 2012年8月20日から23日にかけ、中国・南京市で本学主催の日本語研究フォーラムを開催した。会場は三江学院。基調講演に続き、中国人研究者を含む11名が日頃の研究成果を披露し、活発な意見交換を行った。


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@ 三江学院正門


A フォーラム会場


B 南京大学


C 上海の街


D 上海蟹



コロンビア大学訪問 半藤英明
 2013年8月、アメリカのコロンビア大学を訪問した。コロンビア大学は、ニューヨークのセントラルパーク北西部に位置し、数多くのノーベル賞受賞者を輩出する名門の私立大学。オバマ第44代大統領の母校。国際法、東アジア関係の蔵書が充実している。


スナップ
@ バトラー図書館


A 校舎前


B キャンパス


C 地下鉄駅



八代中学校「読書感想文書き方指導教室」 半藤英明
 研究室の地域貢献活動として、平成26年8月18日に八代市の県立八代中学校で読書感想文書き方指導教室を実施した。八代中学校開校時から毎年行っており、今回で6回目。対象は1年生80名。午前クラスと午後クラスに分かれ、あらかじめ提出された読書感想文に学生たちが添削をほどこし、当日、それぞれが担当する中学生に直接指導を行った。

指導の様子



 研究室の学生4名のほか、有志の院生・学生3名が参加。本学出身で、現在は大学講師の田中利砂子さんも毎年参加している。


参加した学生たちと田中さん


斜陽館訪問 半藤英明
 平成26年11月、太宰治の生家である斜陽館(現)を訪ねた。太宰文学の原点をたどる旅である。弘前駅から五能線で五所川原駅へ。津軽鉄道に乗り換え、金木駅で下車、徒歩10分。閑かな町並みを行くと、豪奢で風格ある建物が現れる。

 建物の名称である『斜陽』は没落貴族の苦悩と悲劇を描く昭和20年代の名作。太田静子の日記に基づく。太宰の女性遍歴と作品とは強い連関があり、田部シメ子と『虚構の彷徨』、小山初代と『冬の花火』、津島美知子と『富岳百景』が結びつく。静子は、太宰が「自分でない他者を書きたい」と言っていた、と述べており、太宰の創作意識の一端が知られる。その人物像とともに「カメレオンの多面体の魅力」(太田治子評)とされる作品群は日本語の奥行を考える上で恰好の素材である。

津軽鉄道 五所川原駅


走れメロス号


斜陽館


太宰(津島修治)生誕の間


水戸の旅 半藤英明
 平成27年8月、茨城県水戸市を旅した。吉田松陰が江戸遊学の折、いわゆる「水戸学」を学んだ地。「今東湖(藤田東湖)」と言われた菊池謙二郎は、夏目漱石とも交流があった。徳川御三家の水戸藩は広く一般には水戸光圀(義公)で有名。偕楽園は梅の名園で、徳川斉昭の学問所「好文亭」が見学できる。他に見所として、水戸駅から徒歩10分ほどのところに藩校弘道館がある。卒業がなく、自分のペースでいつまでも学べる方式だったという。

水戸駅前 水戸黄門と格之進と助三郎の像


水戸黄門生誕の地


好文亭


水戸市水道局跡


武雄市図書館訪問 半藤英明
 平成27年8月、話題の図書館である武雄市図書館を訪れた。若者の図書館離れを食い止めようと、斬新なレイアウトである。カフェを設置し、その場で気に入った本を購入できるなど、従来の図書館のイメージを超越した憩いの空間となっているが、本探し、調べものには使い勝手の悪さも見られる。
 
外観


中の様子


ロンドン探訪 半藤英明
 平成27年8月末から9月にかけて、夏目漱石関係の調査・見学のためロンドンを訪問した。漱石は英文学研究を目的として、明治33年秋からロンドンに滞在、36年1月に帰国した。  最初の宿はロンドン大学近くのガウワーストリートにあった。ロンドン大学で中世英文学の権威であったカー教授の授業を聴講するが、のち、カー教授の紹介でシェークスピア学者のグレッグの個人教授を週一回(火曜日)受けるようになった。グレッグの自宅は約2キロ離れたベーカーストリートにあった。
 なお、漱石の足跡は「漱石日記」「永日小品」などで辿ることができる。漱石のロンドン滞在が彼自身に与えた影響については、漱石研究の重要なテーマである。
 
最初の宿


5番目(最後)の下宿


サミー恒松氏と漱石ロンドン博物館にて


小説『倫敦塔』に描かれたロンドン塔


漱石が短期間学んだロンドン大学ユニバーシティカレッジ


林芙美子旧居 半藤英明
 平成28年3月、尾道市にある林芙美子の旧居を訪れた。土堂小学校を卒業し、尾道高女に入学した大正6、7年ころの住まいで、駅前通りのアーケード内にある。不幸な生い立ちで各地を転々としたが、女学校卒業後の上京生活を自伝的に描いた小説『放浪記』が出世作となった。死去する直前に、長崎を経て天草を訪れている。
   
林芙美子


旧居


部屋の様子


チャタム大学訪問 半藤英明
 平成28年11月、アメリカ合衆国ピッツバーグにあるチャタム大学を訪問し、MOU(学術交流協定)を締結した。人文・社会・自然の研究分野を揃える伝統ある私学で、市街地に近いが、落ち着いた住宅街にある。ピッツバーグは古くは製鉄の町だったが、近年は学園都市として多くの若者が集う。
   
チャタム大学入口


キャンパス


ピッツバーグ市街地の広場


丘からの遠景


県民文芸賞のすすめ 半藤英明
 平成25年度より、熊本県民文芸賞の審査委員をしている。担当は評論・ノンフィクション部門である。今年度は第38回を数える伝統ある文芸賞である。今年度の評論・ノンフィクション部門への応募数は9篇であった。増減はあるが、毎年20篇は超えない程度の応募数である。どちらかといえば、評論の応募は少なく、体験記が多いが、いずれの年度も作品は丁寧に洗練されている。
 評価のポイントを示すと、評論ならば解説のわかり易さが必要である。そして論理に説得力がないといけない。ノンフィクションならば特色あるテーマを厳選してほしい。内容に視野の広さ・深さがあり、表現豊かにつづってもらえるとありがたい。応募の目安である原稿用紙50枚ほどの文章というものは、誰にでも書けるものではない。まず書きたいことがないと話にならないし、それがあっても根気よく粘り強く作業しないと目指す作品にならない。何をどう書くか、それは読者にどう受け止められるか、と、しっかりと構想し、手間を惜しまず、時間をかけると良い作品になる。創作とは自分と向き合って、今を生きることである。
 忙しない現代であるが、その気になれば、文章をつづることはできる。「自己主張」は誰の心のなかにもあるものだから。とくに学生諸君には自分と向き合う時間を持つ意味で、この文芸賞の応募に挑戦してほしい。ただし審査は厳正である。

(2016.12.28)
有田町訪問 半藤英明
 平成29年2月、佐賀県有田町を訪れた。陶磁器で有名で、上有田駅から有田駅まで名店が並ぶ。昨年は有田焼創業400年。皇室御用達の香蘭社は深川家が創業、現在は無縁だが、香蘭社の創業者の息子が深川製磁を設立し、現在も創業家が継承しているという。
   
香蘭社窯


香蘭社本店


深川製磁本店


茶わんみこし 有田陶磁の里プラザにて