後藤是山 of しんすごかもん

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後藤是山
(ごとう ぜざん)

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―一生、一記者をつらぬいた男―
1886年に 大分(おおいた) で生まれました。
本名は 祐太郎(ゆうたろう) で、 是山(ぜざん) はペンネームです。
是山(ぜざん) という名前は、『 碧巌録(へきがんろく) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gif』という 仏典(ぶってん) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifにあった『山は 是(こ) れ山、水は 是(こ) れ水』という文がもとになっています。

九州日日新聞社(きゅうしゅうにちにちしんぶんしゃ) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifに 入社(にゅうしゃ) しましたが、思っていたものと 違(ちが) ったため、 是山(ぜざん) は 絶望(ぜつぼう) します。
それを見た 当時(とうじ) の 社長(しゃちょう) が、 是山(ぜざん) を 東京(とうきょう) の 徳富蘇峰(とくとみそほう) がいる 国民新聞社(こくみんしんぶんしゃ) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifに行かせ、1年間 修行(しゅぎょう) をさせました。
熊本(くまもと) に帰ってくると、 是山(ぜざん) は 文芸欄(ぶんげいらん) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifに力を入れたことで有名になり、『 九州日日新聞社(きゅうしゅうにちにちしんぶんしゃ) に 後藤是山(ごとうぜざん) あり』とまで言われるようになりました。

昭和2年に 是山(ぜざん) は 俳句誌(はいくし) 「かはからし」を作り始めます。
「かはからし」はのちに、他のいろいろな 雑誌(ざっし) をいっしょになり、「 東火(とうか) 」という名前に変わったあとも、約54年間作られつづけました。

昭和9年になると、 是山(ぜざん) はいきなり 九州日日新聞社(きゅうしゅうにちにちしんぶんしゃ) を 辞(や) めさせられてしまいます。
しかし、 辞(や) めた後も 新聞社(しんぶんしゃ) との 交流(こうりゅう) はつづきました。
仕事(しごと) を 辞(や) めた後は、 短歌(たんか) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifや 俳句(はいく) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifをよんだり、 読書(どくしょ) をするなど楽しんだと言われています。
昭和54年には、 熊本市名誉市民(くまもとしめいよしみん) にもなりました。

東京(とうきょう) にいたのは1年ほどでしたが、 徳富蘇峰(とくとみそほう) 、 蘆花(ろか) Doticon_red_Help.gifDoticon_red_Help.gifをはじめたくさんの人と 交流(こうりゅう) し、 熊本(くまもと) に帰ってきてからも 交流(こうりゅう) がつづきました。

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IMGP1028.JPG是山の石碑。記念館の庭で見ることができます。
IMGP1031.JPG「淡成居」という名の是山の家。これは徳富蘇峰がつけたものです。
IMGP1030.JPG緑がたくさんあるのは、家ができたときに徳富蘇峰がたくさん木の苗を送り、それを植えたから。これでも量は減ってるんですよ。
IMGP1051.JPG数十年前まで使われていた家なので、みょうな生々しさがあります。