文学研究科

Graduate School of Language & Literature

文学研究科について

日本文学特殊講義

文学研究科は、多様な価値観がせめぎ合う現代社会の中で、言語・文学研究の成果を人間生活の中に生かしていく方途を模索し、的確に実践していくことを理念としています。専門性を深化させ、英知を磨き、真がんを分別する洞察力を養い、人間文化の進展に寄与することをめざす研究の場です。

構成

研究科 専攻 課程 入学定員
文学研究科 日本語日本文学専攻 博士前期課程 5名
博士後期課程 2名
英語英米文学専攻 博士前期課程 5名
博士後期課程 2名

学科紹介

学位取得までの流れ

【博士前期課程】

【博士後期課程】

学位論文の評価

学位論文審査基準

入試情報

秋季募集 出願資格審査申請期間 実施しない
出願期間 9月上旬
選抜期日 9月末
合格発表 10月中旬
入学手続期間 10月下旬
春季募集 出願資格審査申請期間 11月中旬
出願期間 1月中旬
選抜期日 2月中旬
合格発表 2月中旬
入学手続期間 3月中旬

授業料・入学金

※本学学部卒業生の大学院入学者への優遇措置(入学金免除制度)について(博士前期課程のみ)

本学出身の若手研究者の育成に資するため、本学学部を卒業し本学大学院(博士前期課程)へ入学を希望する者で、下記の(1)~(3)のすべての条件を満たす者については入学金を全額免除します。

  1. (1) 入学時点で本学の学部を卒業して1年未満の者
  2. (2) 本学大学院の博士前期課程の入学試験に合格し入学しようとする者
  3. (3) 3年次までの累積GPAが3.0以上であること

支援制度

在学期間中、大学院生を支援する制度を用意しています。制度の利用については、指導担当教員に相談してください。

大学院進学の意義(~修了者の視点から~)

修了者1

  • 就職活動の点で考えると、大学教員はもちろん、高校教師になることを志望する場合でも、修士課程を終えていることが望ましいとされているので、採用者側のニーズに応えることができます。
  • 教職に就きたいのであれば、修士課程・博士課程修了者の方が、実際、教員として授業をするうえで必要な知識や能力、ユーモアや洞察力などを身につけることができます。

修了者2

大学院での学びは、大学の学部での学びと比較しても、学び研究したことを自分の功績に直接結び付けなければならないという点において、問われる責任が非常に大きいと思います。大学院での学びが研究成果として学術分野において客観的に認められるためには、その分野の発展に貢献できるような質の高さや信憑性、過去の研究の限界を乗り越える斬新さや独自性が求められます。そして、自らの研究成果を広く発信し、有益な情報として多くの人々に届けるためには、読む・書く能力のみならず、聞く・話すために必要な豊かなコミュニケーション能力が求められます。その際、高い英語能力も必須となります。従って、大学院では自分の研究分野の専門的知識・教養を深めることを前提とした上で、自らの研究の独自性や個性の発掘・探求と共に、豊かな表現力・理解力も問われると思います。これらの能力の向上は、多様な価値観をもつ人々が構成する現代社会を生き抜く上で重要な、豊かな人間性を育むことにもつながるのではないでしょうか。

また、学部生にとって、大学院進学の意義とは、高い専門性を身に付けること、豊かなコミュニケーション能力を高めることにあります。事実上、専門的知識や教養を深める学びに集中的に取り組むことができるのは3年次と4年次の2年間にほぼ限られると思います。また、4年次は進路選択の時期、教職を取っている学生であれば教育実習や研修等のスケジュールが重なる多忙な時期でもあります。従って、学部生時代に専門性を極めるということが完全に達成できるとは言い難いのではないでしょうか。関心のある研究分野があり、その分野の発展に貢献するために尽力・没頭してみたいという熱意のある学生であれば、誰でも大学院での研究は有意義なものとなり、これまでよりも更に多くの可能性を見出だすことができると思います。また、社会人の方にとっても、大学院進学は、グローバル社会と言われて久しい、多様性が更に発展する今日の社会において、社会人に求められる力が総合的に身につく場であると言えると思います。

修了者の体験談

修了者1

熊本県立大学の博士後期課程で学ぶことができて、本当に良かったです。院生による研究発表会などでは先生方より厳しく率直なご意見、ご指導をいただくことができ、自分ひとりでは気付くことのできなかった新たな視点を得ることができました。また、指導教官の先生は、院生の将来を考えて、とても熱心にご指導くださいました。応援していただき、とても心強かったです。将来、高校や大学で教職に就きたいと考えている人は、ぜひ大学院へ進学すべきだと思います。

修了者2

私は、学部のころよりアメリカ文学研究の分野でアメリカ現代小説をメインに研究しています。大学では、アメリカ文学作品を英語の原書で読み、理解するということはもちろん、なによりもまず、「文学研究」と言う観点から読むことは、これまでの「読む」という行為に対して私が感じていた当たり前の概念を大いに覆すような体験でした。これまで小説を読むという行為は自由で何からの束縛も受けない、言い換えれば身勝手な作業であったのに対し、文学研究の行為としての「読み」は、作中世界はもちろん、また作家自身の人生や政治、文化、社会事情をも含めて解釈することだと感じました。また、これまでの過去になされてきた研究に触れることは、「過去の研究者たちとの対話」であるということも実感しました。このように、文学作品を一つの文化の産物として取り扱い、歴史や文化や社会、そしてそれらを構築してきた人間そのものへの探求という、とても壮大な目的に、文学研究は集約されていくことを実感しました。

修了者3

私が学部四年生の頃、卒業論文の作業はとても大変でしたが、同時に楽しいものでもありました。調べれば調べるほどわからないことが増えていく感覚は、もどかしくはあるものの、わくわくする気持ちの方が強かったように思います。進学しようと考えた理由は色々ありますが、今まで感じたことのなかったその気持ちが特に大きかったように思います。大学院での勉強は、自分の研究を深めるためのもので、研究に没頭する時間が圧倒的に多いというイメージを抱いていました。実際、学部生の頃に比べればその時間は比べ物にならないほど増えましたが、複数の先生方の講義を通して、様々な分野の知識を得る時間もたくさんありました。

熊本県立大学の大学院、特に日文専攻は、決して規模が大きいとは言えません。しかし、その分先生方との距離が近く、指導教員はもちろん、その他の先生方にも、研究のことから日常の学生生活の事まで大変気にかけていただきました。受講者も自然少人数なので、演習形式の授業は大変でしたが、その分大変身になったとも思います。また、様々な視点から自分の研究についてご意見をいただくこともあり、とても参考になりました。

自分の研究を深める上で、広い視野で物事を考えるというのはとても大事なことだと思います。しかし、なまじ自分のやりたいことに専念できる大学院では、研究に没頭しすぎて、視野が狭まってしまいかねません。そんな時に、多数の先生方からご意見をいただける県立大学の文学研究科は、とても良い環境だと思います。

修了者4

大学院進学の意義は、実に人それぞれだと思いますが、私の場合、多義的で多様なコミュニケーションを、じっくりと時間をかけて行うことにあったように思います。コミュニケーションの相手は、本であり、師であり、自身であり、生きた人間であり、また死んだ人間でした。沈黙であった場合もあります。私にとって大学院は、コミュニケーションの術を身につけるための訓練の機会を与えてくれる場所でした。

私は一度学部を卒業した後に院へ進学したのですが、その理由は単純で、もっと学術的に書物を精読したかったからです。学部卒業後に滞在したカナダのニューファンドランド島は、よい意味で色々なものの中心から外れており、娯楽が少なかったために、読書をしたり、人の会話を盗み聞きしたり、友だちと話したりして時間を過ごしました。町中には難民学校があり、ルームメイトがトルコ人であったこともあって、私が親しくなったのは、それまで想像していたカナディアンとは異なる人たちでした。彼らの殆どはカナダという新地で学び直す人々で、彼らは島で唯一の大学に通っていました。彼らと過ごす日々の中で、私は自分がそれまで通っていた大学が大学であったとは呼べないような、してきたつもりの学問が学問では無かったような気がしてきました。ただ周りと同じように大学に進学して、そこにいただけであったと、確信を持って気づかされたのです。初めて自ら学びたいと思いました。そして、大学院への進学を決めました。

大学院は面白い場所でした。いちいち疑問を持ち、いちいち課題を設け、いちいち考えては回答しようと試みることの繰り返しが、何かとんでもなく楽しいことのように感じられました。大学院が、疑うという行為に眉をひそめることも訝しむこともせず、むしろ許し、背中を押してくれる場だったからではないかと思います。学術的な場であるからには、疑いについて徹底的に考え、論証することが求められます。本は精読されなければなりませんし、使う言葉には責任を持たねばなりません。終わったところには新たな始まりがあるので、終わることはありません。このように述べると、大学院は苦しいのひとことに尽きるのかもしれません。確かにそうではありました。ですが、苦しいはずの大学院を終える頃には、身の回りのあらゆる物事が重層的に見えるようになっていたのですから不思議です。かつて読んだ小説が、観た映画が、聴いた音楽が、更に面白く、あるいは酷く感じられるようになっていたのです。それはとても喜ばしいことでした。

大学院に進学すること、特に文学研究を志すことは、わざわざ主流から逸れ、無駄なことに時間を費やす、理解し難いことかもしれません。世間一般的にはそうなのだと思います。それでも惑わされるかと奮起し、乏しい想像力を駆使して研究のための(あるいは研究という)コミュニケーションを試みること、無力さを自覚しつつもしたたかに考え続けることは、決して無駄なことではなく、むしろ贅沢な経験だと思います。少なくとも私にはそうでした。

とはいえ、私はまだまだコミュニケーションが下手で、言葉にも到底責任があるとは言えません。不注意極まりありません。大学院在籍期間中に吐いた言葉の多くは書き直したくて仕方ありませんし、思考も既に疑わしさ満載です。一度大学院に進学すれば、どこに所属しようと、あるいはしまいと、学びは止まらなくなるのだと思います。私は、それを嬉しく思っています。

担当
事務局 教務入試課教務班